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2026年01月08日
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2025年12月29日
2025年12月28日
2025年12月26日
士幌線 士幌(しほろ) 28 がいまち
十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 士幌(しほろ) 28 がいまち
ターチは新聞販売店の次男坊である。
ターチの誕生日会である。
わたくしは招待された。
生まれて初めてであった。
雑誌を1冊プレゼントした。
冒険王あたりだとおもう。
プレゼントはなにがいいのか。
どのような振舞いをすればいいのか。
慣れないわたくしはためらっていたとおもう。
思い出がない。
翌年からは招かれなくなった。
理由がわからなかった。
母親はこどもを介した集りにうとかった。
招かれたらつぎは招けばよかった。
細野家ではだぁれもそのことを知るものがいなかった。
あしたは近くに住む同級生の家で誕生会をもよおすらしい。
気にしているからか、
耳にはいってくる。
当日、
招かれざるものはこっそり遠くから眺めるのであった。
羨ましげに。
指をくわえて。
省かれたことの悲哀をおもいしる。
士幌線 士幌(しほろ) 28 がいまち
ターチは新聞販売店の次男坊である。
ターチの誕生日会である。
わたくしは招待された。
生まれて初めてであった。
雑誌を1冊プレゼントした。
冒険王あたりだとおもう。
プレゼントはなにがいいのか。
どのような振舞いをすればいいのか。
慣れないわたくしはためらっていたとおもう。
思い出がない。
翌年からは招かれなくなった。
理由がわからなかった。
母親はこどもを介した集りにうとかった。
招かれたらつぎは招けばよかった。
細野家ではだぁれもそのことを知るものがいなかった。
あしたは近くに住む同級生の家で誕生会をもよおすらしい。
気にしているからか、
耳にはいってくる。
当日、
招かれざるものはこっそり遠くから眺めるのであった。
羨ましげに。
指をくわえて。
省かれたことの悲哀をおもいしる。
2025年12月19日
あきらめ
これはある学会での問答でも、
ききかじりでもない。
エッセイストといわれるかたが平日の午後すぎにカフェでかたってくれた。
その梗概でしかない。
「人類がなくなるのは感染の拡大、
隕石の落下だろうということです。」
「隕石の大きさが問題でしょう。」
「生存できないということですね。」
「恐竜を理解すればわかることです。」
「核爆弾の脅威はないのですか。」
「生存は可能かもしれません。」
「いま福島で放射線と格闘しています。
どれくらいでいいところまでいくのかはわかりません。
もしかして、
うまくいかないのかもしれない。
ただ、
なにか、
すばらしい方法をみつけるかもしれません。
いちばんいいのは放射能をかたまりにして太陽におくることができれば、
無難なのでしょう。
が、
その方法には難があります。
運搬しなくてはならない。
その運搬という行為をちがうアイディアで代替できれば、
なんとかなるのかもしれません。
なにかに吸収させて、
それをはこぶ。
宇宙船がこわれてもだいじょうぶなモノにしておく。
宇宙船をつかう、
というのが発想のあしかせかもしれない。
電波状のもの、
光線。
紙状に付着させる。
フィルターをつくる。
化合物か。
吸収体か。
こわすかつくるか。
つけたすか。
それらにかわるもの。
宇宙エレベーターがあればいいかもしれない。」
「汚染というのは汚染じたいのひろがりをふせぐ、
予防こそが重要です。
汚染とてひとがつくったものにはかならずかぎりはある。
それを待つ。
一つの方法だとおもいます。
じゅみょうとの葛藤になるかもしれません。」
「ただ、
地球を基本にかんがえてみると、
あるひとは、
もし昆虫が地球上からいなくなれば、
地球上のほとんどの生命は絶えるだろう。
もしこのよからひとがいなくなれば、
おおくのいきものは復活するだろう、
というのがあります。
ひとはいったいなにをしてきたのか。
なにをしていくのか。
ただ自問していても無駄かもしれません。
行動は無駄ではないのか。
それもわからない。
無駄といえばすべては無駄なのかもしれませんけれど。
かしこくならなくてはいけません。
なにがかしこさなのか。」
「杞憂というのはおもしろいかんがえです。」
「たしかなことは、
なんらかの状況におちいるとき、
ひとはあきらめる。
それがいっきに伝播すること。
それが最大の危機にほかならないということです。」
ききかじりでもない。
エッセイストといわれるかたが平日の午後すぎにカフェでかたってくれた。
その梗概でしかない。
「人類がなくなるのは感染の拡大、
隕石の落下だろうということです。」
「隕石の大きさが問題でしょう。」
「生存できないということですね。」
「恐竜を理解すればわかることです。」
「核爆弾の脅威はないのですか。」
「生存は可能かもしれません。」
「いま福島で放射線と格闘しています。
どれくらいでいいところまでいくのかはわかりません。
もしかして、
うまくいかないのかもしれない。
ただ、
なにか、
すばらしい方法をみつけるかもしれません。
いちばんいいのは放射能をかたまりにして太陽におくることができれば、
無難なのでしょう。
が、
その方法には難があります。
運搬しなくてはならない。
その運搬という行為をちがうアイディアで代替できれば、
なんとかなるのかもしれません。
なにかに吸収させて、
それをはこぶ。
宇宙船がこわれてもだいじょうぶなモノにしておく。
宇宙船をつかう、
というのが発想のあしかせかもしれない。
電波状のもの、
光線。
紙状に付着させる。
フィルターをつくる。
化合物か。
吸収体か。
こわすかつくるか。
つけたすか。
それらにかわるもの。
宇宙エレベーターがあればいいかもしれない。」
「汚染というのは汚染じたいのひろがりをふせぐ、
予防こそが重要です。
汚染とてひとがつくったものにはかならずかぎりはある。
それを待つ。
一つの方法だとおもいます。
じゅみょうとの葛藤になるかもしれません。」
「ただ、
地球を基本にかんがえてみると、
あるひとは、
もし昆虫が地球上からいなくなれば、
地球上のほとんどの生命は絶えるだろう。
もしこのよからひとがいなくなれば、
おおくのいきものは復活するだろう、
というのがあります。
ひとはいったいなにをしてきたのか。
なにをしていくのか。
ただ自問していても無駄かもしれません。
行動は無駄ではないのか。
それもわからない。
無駄といえばすべては無駄なのかもしれませんけれど。
かしこくならなくてはいけません。
なにがかしこさなのか。」
「杞憂というのはおもしろいかんがえです。」
「たしかなことは、
なんらかの状況におちいるとき、
ひとはあきらめる。
それがいっきに伝播すること。
それが最大の危機にほかならないということです。」
2025年12月17日
なんのための学問 (紛争の急所)
なんのための学問 (紛争の急所)
危機管理を教えている大学の、
危機管理がままならない。
それをわらうのではない。
いまや学問とはうわっぱりの知識でしかないのか。
知っているだけ。
知らないだけ。
それだけのことなのではないか。
知っている人を勉強ができる、
といっているだけなのではあるまいか。
記憶力の個人差を能力の差と勘違いしたままだけなのではあるまいか。
国際法を学ぶのは、国際法を活かすため。
国際法は紛争を回避し紛争をなくすためにあるのではない。
国際法は無視蹂躙されっぱなしである。
国際法が学問ではないからなのだろうか。
人は国際連盟をへて国際連合を組織した。
いま、タイ・カンボジア紛争の当事者がおなじテーブルにつくことは促せられる。
けれども、ロシア・ウクライナ紛争にはなんの効力を持てないでいる。
なぜ、紛争を止めることができないのだろうか。
哲学で戦争は回避できない。
経済学とてあとづけの解釈にすぎない。
危機管理学とて国内ですら危うい。
戦争ははじまるとおさめるのは至難という。
大概はともに精も魂もつき果てて和平へいたる。
どうするべきなのだろうか。
紛争予防学、
紛争回避学、
紛争終結学、
紛争学。
あたらしい学問体系と名づけたにせよ、
様々な既成学を寄せ集めただけの教科書になるのがせいぜいであろう。
悪はつねに上書きされるのに。
身のまわりを見渡すといい。
悪いことはウイルスのごとく変異し、つぎつぎと新種になる。
性悪でも性善でもない。
人は人をだますことが好きなのだ。
また、
人をだますことがおもしろいからなのではあるまいか。
商売の基本とて客をキレイにだますことじゃないか。
紛争の元は、
水
たべもの
所有
人をあざむきたがる習性
これが急所なのではあるまいか。
危機管理を教えている大学の、
危機管理がままならない。
それをわらうのではない。
いまや学問とはうわっぱりの知識でしかないのか。
知っているだけ。
知らないだけ。
それだけのことなのではないか。
知っている人を勉強ができる、
といっているだけなのではあるまいか。
記憶力の個人差を能力の差と勘違いしたままだけなのではあるまいか。
国際法を学ぶのは、国際法を活かすため。
国際法は紛争を回避し紛争をなくすためにあるのではない。
国際法は無視蹂躙されっぱなしである。
国際法が学問ではないからなのだろうか。
人は国際連盟をへて国際連合を組織した。
いま、タイ・カンボジア紛争の当事者がおなじテーブルにつくことは促せられる。
けれども、ロシア・ウクライナ紛争にはなんの効力を持てないでいる。
なぜ、紛争を止めることができないのだろうか。
哲学で戦争は回避できない。
経済学とてあとづけの解釈にすぎない。
危機管理学とて国内ですら危うい。
戦争ははじまるとおさめるのは至難という。
大概はともに精も魂もつき果てて和平へいたる。
どうするべきなのだろうか。
紛争予防学、
紛争回避学、
紛争終結学、
紛争学。
あたらしい学問体系と名づけたにせよ、
様々な既成学を寄せ集めただけの教科書になるのがせいぜいであろう。
悪はつねに上書きされるのに。
身のまわりを見渡すといい。
悪いことはウイルスのごとく変異し、つぎつぎと新種になる。
性悪でも性善でもない。
人は人をだますことが好きなのだ。
また、
人をだますことがおもしろいからなのではあるまいか。
商売の基本とて客をキレイにだますことじゃないか。
紛争の元は、
水
たべもの
所有
人をあざむきたがる習性
これが急所なのではあるまいか。

