2025年05月16日

「ほめる」ってむずかしい

なぜ日本では「ほめる」という行為がこんなにもむずかしいのだろうか。

この邦ではほめられて育った人は圧倒的に少ないのではないだろうか。

所作に対して、
「すばらしいですね」と言っても、
「そんなことありません」
と即座に否定される。
とくに女性にこの傾向が強いようにおもわれる。

なぜ、
「すばらしいですね」
のひと言に、
「ありがとうございます。これからも精進します」
と返せないのだろうか。
よけいなお世話に過ぎないのだろうか。

こちらとしては、
ただ感じたことを伝えただけでほめるつもりではない。
けれど否定されるとそこで会話が止まってしまう。
残念におもう。

自信が持てないからなのか。
関心がないのか。
あるいは、
ただ面倒くさいだけなのか。

いずれにしても、
ほめられた経験が少なすぎる。
その経験値が圧倒的に低い。
それが根底にひそんでいる気がしてならない。

posted by 細野不巡 at 07:50| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月13日

ジョンレノン Imagine no possessions

ジョンレノンが撃たれ病院にかつぎこまれた。
再現ドラマをみた。

Imagine イマジン
この歌のすごさをまたかみしめている。
宗教がなかったら、
国境がなかったら、
ジョンレノンはいう。
想像してごらん。

戦場の映像がこれでもかこれでもか。
くりかえす。
世の注目はここにあつまる、

が、
凝視すべきはそこじゃない。

戦争の根源となるもの。
それは 所有 だ。

わたしの土地、
わたしの財産、
わたしの権利、
この考えを捨ててみてごらん。
できるさ。
やってごらん。

ジョンレノンの Imagine の一節がうかぶ。

Imagine no possessions

所有という概念を手放したとき、
人はどんな世界を生きるのだろうか。

こんな単純なことにきづかないなんて。
どうかしてる。
そうおもわないかい?


posted by 細野不巡 at 00:03| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月08日

士幌線 士幌(しほろ) 6

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 士幌(しほろ) 6

爺さん晩年は脳のやまいで難儀し難儀されもした。
爺さん日記はつけていた。
カンロ飴が好物であつた。

爺さんがおおきなあくびをする。
すかさず兄貴が爺さんの口に息をはく。
爺さん、
やめえ
といって口をとじた。
いたずらするたび訛りがでてくる。
兄貴にはそれがたまらなくおかしかった。

兄貴が初孫でたいそうかわいがっていた。
兄貴も爺さんっこであった。

帯広に大相撲の夏巡業がきて砂っかぶりでみていたら、
明武谷のやつあやまりもしない。
憤慨していた。
土俵から関取がなだれおちてきたらしい。
兄貴にぶつかったが明武谷関はうんともすんともいはなかった。
それに腹をたてていた。

日記である。
カンロアメ100円。
一日一行。
昇くる。
(昇とは函館に住む4男)
一日一行。
鉛筆でかいてあった。

晩年は空白がめだつようになった。

posted by 細野不巡 at 21:32| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月03日

士幌線 士幌(しほろ) 5

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 士幌(しほろ) 5

ねっちゃん。

伯母は父親の姉。
顔に火傷の痕をのこしていた。

士幌駅前に美容室をひらいた。
旦那さんの家を改築した。

のち士幌町農業協同組合が新築しスーパーマーケットを併設した。
そこで理容美容をもうけることになり伯母は移転する。
伯母は先生とよばれていた。

まだ駅前の美容室にいるころ。
帯広レコードオイカワでかったばかりのビートルズ オールディズをもっていく。
ステレオかしてね
そういうと伯母はうなずいて微笑んだ。

わたくしの家には4本脚の古いステレオしかない。
パイオニアのセパレートステレオを伯母はもっていた。
つかいこなしてはいなかった。
それをつかわせてもらう。

ときに伯母からもよびだされた。
伯母は帯広のレコード店ムジカで買う。
店長から推薦してもらうといっていた。
カールベームのベートーヴェンをかったんだといってわたくしにみせ聴かせた。

コーヒーを淹れるからおいで。
コーヒーは豆から淹れた。
カルパスをつまみながらふたりでいただいた。

伯母とは波長があった。
わたくしがいつも他人行儀なことばをつかう。
そう指摘したのはわたくしの母親である。

伯母とわたくしが口争いした。
そのときわたくしが伯母のアザにふれたらしい。
伯母は涙をみせたという。
以来わたくしなりに失礼のないようにと丁寧なことばを使おうときめたのではなかろうか。

Aコープに移転して美容室の経営も首尾よくいっていた。
好事魔おおし。
しばらくして病に斃れた。

死後婆さんは娘の死よりも顔にキズをおわせたことを悔いていた。

パリにいきたかったろうに。

短髪ですらっと背がたかい。
キリッとしている。
品がよくって勉強ずき。
モダニスト。
なによりわたくしをおおいにかわいがってくれた。

posted by 細野不巡 at 05:37| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月30日

士幌線 士幌(しほろ) 4

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 士幌(しほろ) 4


いまでは足寄国道という。
上士幌も士幌も、
それまではまちなかを国道241号がはしっていた。

士幌線の踏切をわたらねばならない。
交通量もふえる。
そこでまちなかと踏切をさけるべくバイパスができた。
バイパスは上士幌、士幌とも、
帯広側の踏切手前から右ななめに、
いっきに町をはしょっていく。

バイパスができたころ自転車ではしってみた。
いきかう車は少ない。
畑がひろがるばかり。

赤いトタン屋根の士幌駅がみえる。
みたことのない角度から士幌駅をみた。
こだかいところに駅はある。
遠く東ヌプカウシヌプリをのぞむ。
新鮮であった。
いまおもう。
それは絶景である。

士幌町農業協同組合所有の倉庫がたちならぶ。
引込線がしかれていたとはしらなかった。

あとはいつもの景色とかわらない。

防風林にかこまれた家が点在。
たてながの黒土畑。
なぁんだ、
落胆したのをおぼえている。

posted by 細野不巡 at 20:06| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月28日

士幌線 士幌(しほろ) 3

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 士幌(しほろ) 3

士幌線は単線。
駅は上下線のホームがあった。
相対式2面2線というそうな。

駅舎のあるほうが下り上士幌方面行。
帯広へいくときは、
線路をわたりもうひとつの乗場にいかなくてはならなかった。

線路のうえから上士幌方面をのぞむ。
鉄路は上り下りともまっすぐのびている。
四角いディーゼル車がこちらにむかっている。

士幌駅のむこう側には製材所があった。
トロッコ用の線路が小屋と小屋のあいだに敷かれていた。
そこには大好きなポイント切替が装置されていた。

だれもいないときだ。
トロッコをゆっくりはしらせる。
ポイントのうえを車輪がすべる。
レールのすきまで車輪がゴトン。
またゴトン。
なんどもなんどもくりかえす。
わたくしはただうっとりと悦にいる。

線路の奥には製材所からでる木のぬか置場があった。
このぬかをわがやのストーブの燃料につかっていた。

posted by 細野不巡 at 14:18| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月26日

かたくな

かたくな

かりあげた髪はひとつきは経っていよう。
銀色の眼鏡をかけてとなりの車両からやってきた。
手荷物をふたつ連結扉のまえにおく。
決壊をふせぐための土嚢をおくように、
すきまを丁寧にふさぐ。
薄毛のトップコートはよれている。
タッタソルのシャツをきている。

奇妙な仕草。
座席にすわる初老のおとこが不機嫌になる。
まわりの客はうつむいている。

初老の男はうつむいた。
目にしなければ気分を害さない。
腕をくみ、
背をのばし、
目をつむる。

ききみみをたてる。
ひとりで問答をはじめる。

目をひらくべきか、
このまま無関心をよそおうべきか。
なにかあったときみていなかったというのは卑怯ではないか。
目をあけて一部始終監視するべきではないか。

初老の男は目をあけた。
駅につく。
客が降り、
乗ってくる。
杖をついた女性がいた。
初老の男はジェスチャーで座席をゆずろうとする。
杖の女性は大丈夫ですといった。

かりあげの男は本を3冊もっていた。
ていねいに床におく。
また手でかかえる。
かれの仕草から、
本の表紙をみてもらいたいのではないか、
初老の男はおもう。
駅に着く。
客は降り、
また乗ってきた。

かりあげの男は直立し、
かかえた本の表紙を客の目にはいるようにしむける。
奇妙なふるまいに客はおどろきかれからのがれた。
かりあげの男のまわりにひとはいない。

それ読んだよ。
年寄の声だ。
かりあげの男はふりむく。
きびしい本だね。

かりあげの男がくずれるようにしゃがみこむ。
両の脚は床にはりつく。
堰がきれたようにうなだれる。
あたまがふるえる。
かりあげの男は嗚咽する。

あなたも読んだのかい。
年寄はいった。
きびしいなぁ。

かりあげの男は衆目にはばかることなくすすりないていた。

かたくなでいるということは、
ときにあぶないひとをいう。
かたくなでいるということは、
なにをしでかすかわからない。
かたくなでいるということは、
つねにひとりぽっちになることだ。
覚悟などいらぬ。
そもひとはひとりぽっちなのだから。

ラベル:掌編
posted by 細野不巡 at 14:34| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする