惜敗といえばそのとおりだろう。
完敗といえば、そうかなぁ、とおもうだろう。
言葉とはつかいようだ。
わたくしは完敗である、と感じている。
紙一重という。
けれど、その紙一重というのは、けっこう厚いということをしるひとはすくない。圧倒的に。
ニッポンの野球をスモールベースボールという。
なるほどそういうものか。
それは発見であった。
が、そんなことはどうでもいい。
そうおもうひとがそうおもう。
それだけのこと。
こんかいはそこに固執してしまったとはいえまいか。
8回裏、小林誠司捕手に代打内川聖一選手。
かれはたった一度のチャンスをものにした。
次は山田哲人選手。
ここでこそ山田哲人選手を1番バッターにすえたかいがあったというもの。
が、あっさりと犠打。
なんのための山田哲人選手の1番起用なのだろう。
犠打は有効か。
有効だと信じてうたがわないニッポンの指導者層。
それを支えるおおくのファン。
そこに問題の巣窟がある。
守備的では勝てないのに攻撃的な発想になれない。
スモールベースボールかどうか、以前のもんだいではあるまいか。
2017年03月22日
2017年03月05日
ごっつぁんゴール
ごっつぁんゴールというゴールがあるそうな。
めのまえにボールがころんできた。
それを蹴っただけ。
そうであろうか。
わたくしはそうおもわない。
きみがそこにいたからきめられたのだ。
きみがそこにいたから、
きみがそこにきたから、
きめられたのだ。
ボールが勝手にころんでなぞくるものか。
ここにいれば、
ボールはくるかもしれない、
と感じたから、
きみはそこにいた。
たまたまかもしれない。
それだけのことである。
けれど、
すばらしいゾ。
サッカーは判断。
ボールはくる。
かならずくる。
そう感じることがたいせつなのではなかろうか。
こないこともある。
ほぼこない。
たしかに。
でもこないからいかない。
その判断よりも、
くるかもしれない、
だからいってみる。
という判断を優先してあげるべきではなかろうか、
とおもう。
かんたんとおもわれるボールほどていねいに、
かくじつにあつかうことをおわすれなく。
めのまえにボールがころんできた。
それを蹴っただけ。
そうであろうか。
わたくしはそうおもわない。
きみがそこにいたからきめられたのだ。
きみがそこにいたから、
きみがそこにきたから、
きめられたのだ。
ボールが勝手にころんでなぞくるものか。
ここにいれば、
ボールはくるかもしれない、
と感じたから、
きみはそこにいた。
たまたまかもしれない。
それだけのことである。
けれど、
すばらしいゾ。
サッカーは判断。
ボールはくる。
かならずくる。
そう感じることがたいせつなのではなかろうか。
こないこともある。
ほぼこない。
たしかに。
でもこないからいかない。
その判断よりも、
くるかもしれない、
だからいってみる。
という判断を優先してあげるべきではなかろうか、
とおもう。
かんたんとおもわれるボールほどていねいに、
かくじつにあつかうことをおわすれなく。