2020年08月30日

人生ビデオ

健康は概念でしかないのだけれど、健康なひとは傲慢だ。
あすいきているという不確かなことを、うたがいもしないなんて。

人生ビデオをみせられたんだ。
いままでのおいらの人生を見られるからってさ。
バッカじゃあるまいし、そんなはずないじゃん。
ってね、おもっていたの。

で、見せてもらったのよ。
びっくりしたよ。
だっておいらが映っているじゃん。
マジ。

でさ、ギリギリっていって検索、えらんでそこ見せてもらったんだ。
やっべぇのなんのって。
いままで、しらないあいだに死にかけてたんだよ。
マジ。

25回あった。

そんなはずないじゃん、っておもってたからね。
もうぶっとびさ。

死にかけたのは、ほとんどおぼえてないわさぁ。
でもああしてみせられたら、もう、なんともいいようがないっていうか。
チビのころ、道わたってるとき、車にはさまれそうだったのをおぼえていて。
ああ、やっぱりあぶなかったんだ、っておもった。
友達が、いってたもんなぁ。
あぶなかったって。轢かれるんじゃないかとおもったって。あおざめた顔してた。
ああ、あれだよ。
あとはおぼえてないんだけれど、こう見せられちゃぁなぁ。納得もくそもあるもんか。やべぇっておもったもの。

気ィつけたほうがいいぜ。車はやっぱあぶないぜ。被害者は圧倒的にすくない。あとは加害者になる可能性をふくめると、ほとんどが加害者の可能性があるひとばっかしになる。

加害者はいわば健康なひとでしょ。被害にあってないんだから。
健康は概念でしかないのだけれど、健康なひとは傲慢だよ。
あすいきているという不確かなことを、うたがいもしないなんて。まったく。

人生ビデオをみせられないとわかんないんだろうなぁ。ナンマイダァだよ。ほんと。
posted by 細野不巡 at 11:30| 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月06日

翻訳国家ニッポン

哲学とはなんだろうか。

ニッポンでは哲学は不毛といわれる。
東洋哲学も西洋哲学も原本の解釈に終始。
明治以来、なのではあるまいか。
翻訳ゆえに、誤訳という珍現象がおこる。
誤訳は誤訳のままいまにある。
これはいたしかたがない。
手本があるいじょう、手本をこえることはできない。
最近では翻訳するてますらはぶいて原語のまま、それをカタカナ表記する始末。

が、かんがえかたとしての哲学ならば、どうとらえるか、で、
こたえはちがうのではなかろうか。

わたくしはニッポン人は批判力がたりないとおもっている。
批判とはなにで、どのようにするのか、
その手順が曖昧なまま、いまにいたっている。

批判とはまずどうあるべきか。
どうすればそのようになるか、をかんがえ提示することにほかならない。
すきかきらいか、いやかいやでないか、は駄々とひとつ。
こうすればこうなる。
こうしたほうがましである。
それが批判ではなかろうか。

訓練がないからであろう。
語彙の不足をカタカナ言葉で埋める。
そのおおさがそれをものがたってはいまいか。

哲学とは言葉で考える。
言葉できたえる。
その訓練をいう。

なぜか。
なぜだ。
これでいいのか。
を、くりかえし、くりかえす。
そのくりかえしが哲学。
それだけのことではなかろうか。
posted by 細野不巡 at 12:48| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月02日

教科書、最後の頁までならいましたか

高等学校にかよっていたころ、文系なのに化学Ⅱを選択せざるをえなかった。
これはあきらかに高等学校の無配慮である。
で、教科書。
ほとんどの科目で最後のページまでたどりつくことはなかった。
英語なぞは1年生から3年生まで、1/3でおしまいではなかったか。
これは教諭の怠慢ですむ問題なのか。
それとも教科書をつくる出版社の問題なのか。
全般を指揮指導する文部科学省の問題なのか。
それを問題にしてこない受講生であるおおくの卒業生が無関心であるからなのか。

わたくしはおもう。
すべてが理由である、と。
なかでも教諭の技術のなさ、意識の低さには着目せずにはいられない。(あくまでもわたくしが目にしてきた教諭のほとんど)
なにをおしえ、なにを学んでほしいのか。
教諭免許という資格ばかりが優先し、それをクリアすることだけ念頭におかれているからではなかろうか。
ニッポンの試験、資格とはそういうもので、合格以降の研鑽には執着しない。
採ってしまえばおしまいということになる。

教員に再教育を求める動き。
それはとうぜんである。
が、なにを再教育し、確認するのか。
それよりも大切なのはかれらにもっと余裕をあたえてあげなければならないのではなかろうか。
煩事がおおすぎる。
悲鳴はあがる。
そんな職にだれが夢を描こうか。

わたくしはおもう。
医者こそ、再教育せねばならない。
医療は日進月歩。
医師はそれに対応しきれているのか。
とくに年長の医者。
資格にまもられて、はく奪されるべき医者がほとんどいないのはどういうわけか。
運転免許よろしく、資格の返上を声高にもとめるべきではないのか。
それがままならない。
それがニッポン。
国家試験、国家資格があしかせになっていることにきづいていない。
posted by 細野不巡 at 10:07| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする