2021年11月22日

なぜ巨大装置はあるのだろう

1万円紙幣を捨てるひとはまずいない。
けれど、
ひとは、
たべものを捨てる。
へいきで捨てる。

いのちをつなぐのは、
かねか、
それともたべものか。

ひとは、
まちがっている。
そのことに気づけない。

たとえば、
大聖堂へいく。
すごい装置である。
ひとがひとを屈服させるために、
ああでもない、
こうでもない、
と、
手をかえ、
しなをかえ、
趣向を凝らしてきた。
そして装置はできあがる。
歴史的建造物。

いま、
紙幣がそれにかわった。

紙幣こそが、
現代の装置。

が、
かんがえてほしい。
煮ても焼いても食えぬ。
それが装置の正体なのだ。
posted by 細野不巡 at 13:23| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする