2025年03月31日

士幌線 上士幌(かみしほろ) 4

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 上士幌(かみしほろ) 4

じもとには高等学校が一校ある。
全日制で、
わがまちからもおおくの卒業生をおくる。

おなじ学年にのつぢがいた。
卒業後自衛官となり、
演習中事故死する。

中学校を卒業し、
べつべつの高等学校にすすむ。

むかし病院であったのを、
寮にしたてたもと病室に同級生がくらしていた。
わたくしはそこへしょっちゅう顔をだした。

高等学校にはいって、
かれらともわかれになる。
最後かと顔をだした。

のつぢがやってきた。
べつべつの高等学校にすすんだ気まずさを感じた。
のつぢくんは、
といったのがいけなかった。
それまで、
のつぢにくんづけでよんだことがない。
のつぢはむっとして、
不愉快な口調になる。
とりつくろうが無駄であった。

のつぢはかえる。
視線はあわなかった。

のつぢ。
みくだしたんじゃないんだ。
ひさしぶりに会ったから、
瞬間、
中学生にもどれなかっただけなんだ。

のつぢゆるせ。
同級生で、
いっちゃんさいしょにしんじまったのつぢ。
NHKのニュースにでた。
くせのあるおいらと遊んでくれたのつぢ。
のつぢの墓へはいったけど、
のつぢの家にはいけないままさ。
のつぢがなくなったとき、
どうしていけなかったのか。
いまでも後悔してるんだ。
posted by 細野不巡 at 20:41| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月28日

政治の失敗

政治の失敗

米騒動がおきないのはなぜだろう。
価格が高くても、
手にいれることができるからなのだろう。

備蓄米の放出などと、
えらそうなことばをつかっている。
が、
遅い。

はっきりいって、
昨今の米の値段が高いのは政治の失敗であり、
行政に意見できていない政治家たちの失態でしかない。

ツケをまた、
おおくのひとにはらわせる。
この邦の常套手段である。

なぜくりかえすのか。

既存の政治家が、
ひとをみくびっている。
もしくは、
不勉強。
単に、
鈍感なだけ。
そのすべてかいずれかであるまいか。
なさけない。

目をさましてください。
ふざけないでほしい、
たいがいにせい、
といいたい。
posted by 細野不巡 at 11:46| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月27日

士幌線 上士幌(かみしほろ) 3

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 上士幌(かみしほろ) 3

上士幌駅のちかくに、
わたくしと同学年の男子がいた。

地元中学校のバスケットボール部に籍をおいていた。
バスケットボール部は強豪であった。

そのかれが帯広の高校に通学する。
そのときかれは、
白地に紺の、
コンバース ワンスターをはいていた。

日焼けした顔は精悍で、
細く、
坊主頭というよりも、
クルーカットというほうがふさわしい、
おしゃれなぼんであった。

わがやのまえの家と姻戚か縁戚か、
つきあいがあったようで、
まえの家の子を介していくたびかはなしをしたことがある。
そのときはプロ ケッズのスニーカーをはいていたような気がする。

いずれも当時(40年前)は12,000円はしたはずである。
わたくしはかえなかった。
無念。
posted by 細野不巡 at 19:38| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月25日

士幌線 上士幌(かみしほろ) 2

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 上士幌(かみしほろ) 2

上士幌に映画館があった。
わたくしはそこで、
ディズニー映画ピーターパンをみた。
帯広で、
ではなく、
士幌の自宅からちかく、
しかも母方の爺さんがいる町である。
往来はしょっちゅうであった。

いまにしておもえば、
上士幌の爺さんは、
飲食をなりわいとしていて、
アルコールもおいてあったはず。
おさないころのことゆえ、
昼すぎまでの記憶しかない。
夜の記憶はほとんどない。
ただ、
母親が、
しらないひとに酌をするのをみて、
だはんこいた(駄々をこねた)おぼえはある。
母親がとられてしまう、
とおもったからだ。

で、
昼にだされるラーメンは格別においしかった。
それもわすれがたい。
おとしだまは破格の1万円をくれた。
特記せねばなるまい。
posted by 細野不巡 at 17:12| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月18日

士幌線 上士幌(かみしほろ)

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 上士幌(かみしほろ)

十勝三股、幌加、糠平、黒石平、清水谷、萩ヶ岡駅をかかえた町。
それが上士幌である。
大雪山国立公園の南端に位置し、
観光資源にめぐまれたうつくしい町である。
いまでこそ、
しずかなたたずまいだけれど、
むかしは相当ににぎわっていた。

郊外に叔父が住んでいた。
畑作である。
牛数頭、
にわとりをかっていた。
おとずれるたびに、
一升瓶の牛乳をてわたしてくれた。
家にかえり、
煮沸しのむのだが、
これが、
なんともいえず、
おいしかった。

にわとりのなかにはオスがいて、
立派なとさかをもっていた。
かれには再三おいかけられた。
こちらも負けじとファイトするが、
くちばしでつつかれて退散するのが関の山であった。
これには閉口した。
posted by 細野不巡 at 18:08| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月16日

士幌線 萩ヶ岡(はぎがおか)

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 萩ヶ岡(はぎがおか)

萩ヶ岡には駅舎があった。
下車したことはない。
駅舎、
集落の記憶はない。

水銀鉱山があって、
にぎわっていたという。

いまでこそ上士幌町の人口はすくなくなった。
けれど、
映画館はあったし、
繁華街があったり、
銭湯だってあったきがする。
にぎやかであった。

夜にまたたくネオンサインをみて、
こどもこころに、
おとなたちがつどうところなのだ、
おとなの町なのだ。
そうおもいつつ、
昼から夜の町へのかわりみに、
あやうさを感じていた。
それはおぼえている。

萩ヶ岡ではなく、
上士幌のことになってしまった。
posted by 細野不巡 at 18:36| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月10日

士幌線 清水谷(しみずだに)

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 清水谷(しみずだに)

清水谷には駅舎があった。
下車したことはない。
駅舎まえの風景は、
おぼろげな記憶である。

汽車通学していると、
他校の生徒と顔をあわせる。
士幌線上り1番列車は糠平始発帯広行。
上士幌で一群が乗車。
つづいて士幌でまた一群が乗る。

列車の編成は6両であったとおもう。
上士幌からの2両と士幌で4両が連結。
柿色にうすだいだい色の国鉄在来線色のディーゼル車と、
うすだいだい色に赤の急行車両がつらなって、
ありし日の急行大平原を彷彿とさせた。

で、わたくしは士幌から乗る。

朝は学年や学校単位でつるむ傾向がある。
が、
その生徒は学生服をきて、
いつもひとりで本をよんでいた。
かれがかよう高等学校は、
みなりに制限がなかった。
学生服はむしろ少数ではなかったか。

のち、
かれからこんなはなしをきいた。
清水谷からかよっていること。
参考書とにらめっこしていること。
北海道大学をめざしていること。
将来は官吏のみちにすすみたいこと。
学生服のほうがきままであること。

なるほど、
毎日のみなりに気をくばらなければならないのは、
めんどうである。
学生服もありがたい面があるものか。
なるほど。
納得した記憶がある。

そののち、
かれは北海道大学に進学したはずである。
posted by 細野不巡 at 17:30| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月08日

士幌線 黒石平(くろいしだいら)

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 黒石平(くろいしだいら)

黒石平は乗降場であった。
糠平側に電力所前という乗降場があって、
そちらは停車しない。
黒石平にはいつもとまった。
おりるひとはなく、
のるひともいなかった。

兄貴が帯広の高等学校にかよっていたころ、
同級生が、
黒石平からかよっている、
ときいたことがあった。
親近感をおぼえた。
発電所づとめのかたがいらっしゃったのだろう。

ディーゼル車からはみえないけれど、
黒石平ちかくには、
ダムがあるはずで、
ちいさいけれどきれいな貯水池にアーチ橋がかかっていた。
そこをほんの数秒でわたってしまう。
水面が、
深い青か、
深い緑か、
わすれてしまったが、
うつくしさに、
ハッとしたのをおぼえている。

その神秘性をともなって、
黒石平はあたまからきえない。
posted by 細野不巡 at 17:31| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月07日

士幌線 糠平 (ぬかびら) 2

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 糠平 (ぬかびら)

駅の名は糠平。
糠平温泉となり、
いまでは、
ぬかびら源泉郷という。

さびれた感覚というのは、
木造の家屋ににじみでるものなのか、
いまの糠平にはあてはまらない。
それほどに整備し、
いまようになった。

ぬかびら源泉郷はあかぬけたのである。

士幌線廃線(1987年)の影響をもろにうけたにちがいない。
老舗ホテルが廃虚と化したという。

世代はかわる。
新しい人たちは、
奮闘し、
どれほどの努力をしてきたのか。
わたくしはしらない。

けれど、
糠平ならおぼえている。
家屋ではない。
景色。

糠平ダム、
糠平湖、
ぬかびら源泉郷スキー場、
その頂点からの糠平湖。
わすれることのない景色がわんさかとある。
posted by 細野不巡 at 19:41| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする