2021年06月13日

マザーよし、マザーテレサ

わたくしのおばあさんはすでに亡い。
顔、姿がマザーテレサににていた。
しずかなたたずまいであった。

娘である義母は、おばあさんによって苦労をしいられたとおもっている。
なにかとあたりがつよかった。
いいかた、ことばづかい、にきびしさを感じた。

あるときわたくしはそのわけをつれに訊いた。
わからない。
愛情のうらがえし、なのだろうか。

後妻にはいったらしいこと。
その旦那にさきだたれたこと。
長女である義母はそのために学校をやめなくてはならなかった。
怨念もあるのだろう。
にがにがしさをかみしめたのだろう。
理不尽をのろったのだろう。

あるときおばあさん、わたくしにズバリと訊いてきた。
訊きにくいことであるのだろう、
おばあさんいがいにそれをたずねるひとはだれひとりいなかった。
率直。
わたくしはおどろいた。

わたくしはやまいに臥(ふ)すおばあさんの手をにぎりしめた。
だあれも手をにぎるひとはいなかった。
ちからをいれると、反応がかえってきた。
わたくしはおばあさんが好きであった。

ピーナッツのはいった味噌をなんべんもなんべんもこしらえてくれた。

マザーテレサに親しみを感じる。
わたくしは亡きおばあさんを、
マザーよしと呼んでいる。
ただ、声にはださない。
posted by 細野不巡 at 09:26| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする