22年ぶりである。
川上和生ワールドのたたずまいはいつも、
こざっぱりして、
なによりしずかである。
静謐とか静寂とか硬質な感覚ではない。
牧草地のしずけさであり、
林のしずけさである。
馬小屋から、
牛舎から、
藁や糞のにおいがしそうな気配。
どこにでもあるようにおもうのだけれど、
どこにもない。
それが川上和生のせかいなのではあるまいか。
なつかしく、
どのしずけさもせつなさをひめている。
今回の作品。
川上和生さんは心象を描いたという。
いくつかの作品は風景画。
なだらかな山が描かれている。
わたくしにはそれらの山が、
どれも、
東ヌプカウシヌプリにみえる。
東ヌプカウシヌプリは凡庸な山である。
国立公園をはぶかれたせいであろうか、
森はなく、
木はすくない。
頂上からの眺望はない。
麓の牧場ではホルスタインが草をはむ。
なにもないただの山である。
が、
以前、
わたくしは屹立という掌編を書いた。
東ヌプカウシヌプリについて書いた。
わたくしは東ヌプカウシヌプリに非凡をみ、
川上和生さんは東ヌプカウシヌプリに哀惜をみるのではあるまいか。
【関連する記事】