天気予報はできているのだろうか。
気象予報士がふえて気象予報の精度はあがったのだろうか。
気象予報士を管轄する官庁の仕事がふえただけなのではないのか、
とは以前書いた。
気象予報を生業とする会社はふえて、
いったい気象庁の役割はどうしたのだろう。
気象庁はいうだろう。
天気だけではない。
地震や災害をあつかっている、と。
地震は予知できない。
ならば、
地球の現象である気象もまた予知できない。
そういうべきなのではあるまいか。
いや、
10分後ならほぼ○○パーセント、
24時間前なら○○パーセント、
予測できているという。
が、
予測を百分率でかたるそもそものまちがいにきづいていない。
地震予知とおなじで、
できないといったはずなのに、
わけのわからない確率をもちだす。
それはできないといった地震予知ではないのか。
気象は予知できるはず、
地震はいわばディジタルで、
気象はアナログだから分析しやすい。
あたらないのは地球のせいなのだ、
とでもおもいこんでいるのではないのか。
こんなにデータがあつまっている(たかだか100年)のに、
予測をまちがえる。
あたりまえだ。
データが不完全なこと。
データのとりかたにまちがいがある。
きづいていない要素がある。
固定観念にしばられたまま。
にもかかわらず。
コンピュータの解析力をあげたとて、
インプットする数式にあやまりがあればこたえとてちがう。
数字であればなおさらのこと。
真実はいつも少数派という。
その少数派すら産みだせていない。
それが現状なのではあるまいか。
つかわれるのはただ、
ただ、
税金である。