似非(えせ)という
携帯をいじりはじめる。
ニュースをみる。
やがてニュースにまじって広告がはいる。
ニュースがよみにくくなってくる。
×をはずすと予期せねページにとばされてしまう。
刺激的なページはむしろこちらである。
宿便はないといってるのに図説いりで宿便をかたる。
これでもかこれでもかとどぎつい絵がつづく。
宿便はないのに。
地震は予知できない。
にもかかわらず。
いついつがあぶないという。
あえて特定の日をあげる。
ノストラダムスの騒動はなんであったのか。
こりない。
あの騒動をしらないひと、
わすれたひとたちがおおいのはたしかだろう。
戦争だっておなじこと。
よのなかは擬似ばかり。
脳髄をごまかす装置ばかりが発展して、
正偽すら装置に判断をあおぐしまつ。
ほんとうのことといっても、
それだけのこと。
はなしはふくらむほうがおもしろいにきまっている。
堂々と嘘をつく。
ひとは小さな嘘はゆるさない。
けれど、
大きな嘘には無防備なのではなかろうか。
ひとは暗示をうける。
信仰は暗示そのもの。
暗示にかけられたがりなのか。
暗示とはなにか。
そんなことおかまいなしなのか。
そういいながらもいとも簡単に暗示にかかる。
嘘をみぬく訓練がたりていない。
どのようにすれば嘘を嘘とみぬくことができるのか。
それすらもわからないまま。
ひるがえって、
ほんとうのことはなにか、
すら理解できていないのではあるまいか。
似て非なるものがみのまわりあれもこれも。
見分けがつかなくなってしまった。
それだけはたしかなことなのかもしれない。
だまされる。
ふたたびだまされた。
もう2度とだまされたくない。
ならば、
なぜだまされたのか。
だまされないためにするべきことはなにか。
だまされてみないとわからないのだろうか。
二度あることは三度あるともいう。
いったい、
なにを手がかりにすべきなのだろうか。

