2025年06月09日

似非(えせ)

似非(えせ)という

携帯をいじりはじめる。
ニュースをみる。
やがてニュースにまじって広告がはいる。
ニュースがよみにくくなってくる。
×をはずすと予期せねページにとばされてしまう。

刺激的なページはむしろこちらである。

宿便はないといってるのに図説いりで宿便をかたる。
これでもかこれでもかとどぎつい絵がつづく。
宿便はないのに。

地震は予知できない。
にもかかわらず。
いついつがあぶないという。
あえて特定の日をあげる。
ノストラダムスの騒動はなんであったのか。
こりない。

あの騒動をしらないひと、
わすれたひとたちがおおいのはたしかだろう。
戦争だっておなじこと。

よのなかは擬似ばかり。
脳髄をごまかす装置ばかりが発展して、
正偽すら装置に判断をあおぐしまつ。
ほんとうのことといっても、
それだけのこと。
はなしはふくらむほうがおもしろいにきまっている。

堂々と嘘をつく。

ひとは小さな嘘はゆるさない。
けれど、
大きな嘘には無防備なのではなかろうか。

ひとは暗示をうける。
信仰は暗示そのもの。
暗示にかけられたがりなのか。
暗示とはなにか。
そんなことおかまいなしなのか。
そういいながらもいとも簡単に暗示にかかる。

嘘をみぬく訓練がたりていない。
どのようにすれば嘘を嘘とみぬくことができるのか。
それすらもわからないまま。
ひるがえって、
ほんとうのことはなにか、
すら理解できていないのではあるまいか。

似て非なるものがみのまわりあれもこれも。
見分けがつかなくなってしまった。
それだけはたしかなことなのかもしれない。

だまされる。
ふたたびだまされた。
もう2度とだまされたくない。

ならば、
なぜだまされたのか。
だまされないためにするべきことはなにか。

だまされてみないとわからないのだろうか。
二度あることは三度あるともいう。

いったい、
なにを手がかりにすべきなのだろうか。

posted by 細野不巡 at 10:51| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする