2025年07月12日

呼びすて

呼びすて

この邦ではなぜこうも呼びかたに違いがあるのだろう。
呼びすてという。
ひとの名をすてる。
この奇妙な表現から、
何者かが何者かを見くだすだけなのではないか、と類推する。

ニッポンにおける身分制は思想ではない。
見せしめが概念化しただけで、
単なる外見による差別でしかないのではなかろうか。

外見。
それだけで見極められる。
話し言葉。
決定的である。

なぜ身分にこじつけたのか。
なんのことはない。
上に立つ少数の者たちがかれらの意に従わせるためでしかない。

そうした者にとって一番の厄介は、
従わざる者。
そしてそれを扇動する者である。

ひとは生き残る者だけが語り継ぐ。
あたりまえだ。
どのように考えてみても死す者たちは語り得ない。

時代は変る。
が、
ひとは変り得ず。
ただ、
世代が変れば、
記憶がとだえれば、
また、
似たようなことを繰り返す。

ラベル:呼びすて 身分制
posted by 細野不巡 at 00:31| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする