2025年08月11日

士幌線 士幌(しほろ) 23 金肥

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 士幌(しほろ) 23 金肥

便所も風呂も離れてあった。
桂の離宮のハナレならまずしも、
家をつけたしつけたしして建てた家である。そもそもがじいちゃんの設計プランのいかがわしさにある。
なければつくればいい。
そうして造られた。
そんな気がする。

さて便所。
冬になり放っておくと糞のピラミッドができてくる。
これがなかなか崩せない。
外気とほとんど差がないので凍ったままである。
つっつくのだけれど氷が散るばかり。
あとはいうまい。

雪がとける。
肥(こやし)を畑にまく。
長い棒つきの柄杓(ひしゃく)で一斗缶に肥を入れる。
それを前後に棒で担ぐ。
これが重い。
バキューム車にきてもらうまでは、
そうして畑にまいていた。
金肥だそうな。

母親は何度も担いでいた。
わたくしはただくっせぇくっせぇとくりかえす役立たず。

祭で神輿を担いだときも肩にくい入る重たさに耐えがたく、
その日以降担ぐのをやめた。
同級生の森本君からなぜ担がないのか、
ずるよばわりされる始末。
その日以来の肩の負担に閉口する。

肥まき。
ご近所さんには迷惑なことであったろう。
が、
おたがいさまだから、
気になることではなかった。
においとて最初の日だけでしなくなる。
金肥ではあるが乾くと新聞紙が風になってとんでいった。
(注:当時水溶性のトイレットペーパーはまだなく灰色の便所紙か新聞紙をくしゃくしゃにして用をたしていた)

posted by 細野不巡 at 08:02| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする