ハラスメントというカタカナを持ちだせるようになって、
まるでいままでの鬱憤を一気にはらすかのように、
さまざまなハラスメントが語られるようになった。
ハラスメントで語られるいぜんからハラスメントは限りなく続いていたのであり、
解決策はおざなりであった。
いやがらせ、
いじめ、
ではだれも動かず、
ハラスメントをもちだすやいなや、
土深くうもれていたものが顔をもたげる。
ニッポンは自力で問題を解決できないのではないか。
だれかがいった。
そうなのか?
自力で問題を解決しようと考える勢力があまりにとぼしいだけではないのか?
そんなはずはない、
と思ってきた。
が、
みわたすと、
解決へ導く訓練らしきものはない。
解決しなければならない問題はなにか。
それすらも水に流している。
はたして解決するつもりはあるのだろうか。
訝(いぶか)ってしまう。
解決策をみつけなければならない。
この逼迫した感情の発露すらみかけない。
いじめやいやがらせの当事者になってはじめてその冷酷さを知る。
これを繰返すばかり。
嫌なことをされたらその嫌なことを人にしない。
それだけで連鎖は止まる。
いじめは犯罪。
美輪明宏さんはおっしゃっている。
この一言がどれほどの沈黙を破っただろう。
犯罪と名指されたその後、
社会はどう応えたか。
名指しの力にたよるだけで応答の責任をはたしていない。

