2025年11月04日

奴隷的ふるまい

奴隷とは。
この問いにこたえられるひとはすくない。
が、
奴隷的とはなんぞや。
この問いにはこたえられそうである。
みわたすと奴隷的なふるまいがいたるところにあるからだ。
奴隷的というのは奴隷のふるまいをしていながらそれに無自覚をいう。

サービス残業
誤魔化しが奴隷のあかしである。
単身赴任
なぜ家族とはなれてくらさなくてはならないのか。
その不自然さに無自覚ではなかろうか。

いずれも、
「しょうがない。」
この嘆息がでてくる。
ひとはそれらの事柄にたいして、
奴隷的なふるまいで応対している、
といえまいか。

きみは奴隷だ。
そのとおり。
奴隷でけっこう。
むしろ奴隷になりたい。
奴隷のほうがらく。

奴隷の意味は問うまい。
わかりっこないから。

ただ奴隷か奴隷ではない。
決め手はどこかにある。

奴隷でけっこう、
とは所詮、
奴隷になったことがない。
奴隷について無知だからいえる。
わたくしとて奴隷はしらない。
すべてが奴隷的なふるまいでしかない。

奴隷をしるひとは、
奴隷的な態度に敏感である、
とはかぎらない。
奴隷への前兆を知っているともかぎらない。

現代の奴隷はきづかぬうちに進行する悪性腫瘍のような癖をもつ。
悪性腫瘍とはいえ細胞の変異。
それも生物にはちがいない。
ゆえに厄介である。


魯迅、灯火漫筆におもう
https://fujunsports.seesaa.net/article/2016-12-23.html

posted by 細野不巡 at 08:37| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする