なんのための学問 (紛争の急所)
危機管理を教えている大学の、
危機管理がままならない。
それをわらうのではない。
いまや学問とはうわっぱりの知識でしかないのか。
知っているだけ。
知らないだけ。
それだけのことなのではないか。
知っている人を勉強ができる、
といっているだけなのではあるまいか。
記憶力の個人差を能力の差と勘違いしたままだけなのではあるまいか。
国際法を学ぶのは、国際法を活かすため。
国際法は紛争を回避し紛争をなくすためにあるのではない。
国際法は無視蹂躙されっぱなしである。
国際法が学問ではないからなのだろうか。
人は国際連盟をへて国際連合を組織した。
いま、タイ・カンボジア紛争の当事者がおなじテーブルにつくことは促せられる。
けれども、ロシア・ウクライナ紛争にはなんの効力を持てないでいる。
なぜ、紛争を止めることができないのだろうか。
哲学で戦争は回避できない。
経済学とてあとづけの解釈にすぎない。
危機管理学とて国内ですら危うい。
戦争ははじまるとおさめるのは至難という。
大概はともに精も魂もつき果てて和平へいたる。
どうするべきなのだろうか。
紛争予防学、
紛争回避学、
紛争終結学、
紛争学。
あたらしい学問体系と名づけたにせよ、
様々な既成学を寄せ集めただけの教科書になるのがせいぜいであろう。
悪はつねに上書きされるのに。
身のまわりを見渡すといい。
悪いことはウイルスのごとく変異し、つぎつぎと新種になる。
性悪でも性善でもない。
人は人をだますことが好きなのだ。
また、
人をだますことがおもしろいからなのではあるまいか。
商売の基本とて客をキレイにだますことじゃないか。
紛争の元は、
水
たべもの
所有
人をあざむきたがる習性
これが急所なのではあるまいか。

