2025年11月22日

かたいはなしですが

帝国憲法はプロイセン憲法を範にした。
言葉は悪いが、パクったのである。
しかしそれはニッポンに暮らす人々の「範」にはならなかった。

帝国憲法に違反する者は処罰される。
だが、罪なきその他大勢にとって、
帝国憲法は権力者の力を鼓舞し強調する装置でしかなかった。
体制の護持である。

パクったはいいが、その後に起こりうる、まねきうる事態を想定できなかった。

統帥権干犯問題。
解釈論に終始。
統帥権とはなんぞや。
条項を整理し、修正するまでには至れなかった。
手続の欠落がそれを招いたのではあるまいか。

日本国憲法とて、帝国憲法と似ている。
おしつけられたのは敗戦国なのだからその通りであろう

ではそのとき、
日本国憲法の根本思想(基本的人権・三権分立)を自ら描くことができる者は、
果たしていたのだろうか。

日本語を使い、
自力でこしらえ、
よりましなものへと変えていく。
その発想・知識・勇気・力を併せ持つ者はいたのだろうか。

パクるか、押しつけられるかしか経験のない者に欠けているもの。
それは徹底である。

徹底して検証する根気、
甘えを許さぬ判断のための認識と気力、
なによりも体力。

戦後、ニッポンはアメリカ合衆国をまねるべきであった。
徹底して、その成り立ちからをまねるべきであった。
その過程のなかで、徹底して学び直し、
清濁を見極め、
ニッポンを徹底して見直すべきであった。
そこにこそ自立の可能性が秘められていたはずである。

いまを謳歌できているのは、
この押しつけられた憲法下であることを忘れてはなるまい。

posted by 細野不巡 at 08:02| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月17日

しったことか

なぜこうも人は面倒であるか。
がが強く、
いたみには弱い。

やっちゃいけません、
といっているのにやっちまう。
ダメだよとおそわったはずなのに、
ダメをする。
繰返す。

そりゃぁ、
いいこどだ、
なんてことはたまにしかしない。

人に迷惑はかけないとおもっているのに、
結果、
迷惑をかけとおす。
迷惑ついでにひらきなおる。
あちらでもこちらでも。
なんどもなんども繰返す。

心配いらない、
といいながら、
めっちゃ心配をかけつづける。

なんて人は厄介なしろものだろう。

なにかが足りないからなのだろうか。
なにかが抜落ちているのだろうか。
なにかが過剰なだけなのか。
足るを知らないだけではないのだろうか。

気づかないまま命をまっとうしているだけの人生ばかり。

人は、
いったい何人生まれ、
去ったのか。
これから何人生まれ去っていくのか。
いつまでも繰返せるものか。

反省はしない。
反省はしたふりにすぎないのか。
反省したとして、
はて、
反省されているのだろうか。

こんなにことばであふれているのに。
じぶんのことばっかし。
人が多すぎるから。
訳は単純。
たぶん違わない。

それにしても、
人の多いほうへ多いほうへ流れていく。
なぜだろう。
さびしんぼ?
とくにアジアはいちじるしい。
アジアはさびしんぼのかたまりなのか。

人がふえつづけるということは、
それ同量の厄介がふえることでしかない。
こんな地上に未来などない。
それでいいのだろう、
たぶん。

しったことか。


posted by 細野不巡 at 20:22| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月11日

鈍感

味覚、触覚、嗅覚、視覚、聴覚。
五感しかないのだろうか。
そんなはずはない。

気づかないままなのだろう。
新しい言葉が出ていない。
現代人は鈍感になっているのかもしれない。

第六感は不確かで、
あるかもしれないし、
ないかもしれない。

感覚は専(もっぱ)ら受動でありセンサーのようなもの。

人はことばとしてあるものしかあらわせない。
不確かな事柄も不確かということばがあればこそ、
朧気(おぼろげ)になる。

たとえば、
うま味。
味の素の開発とともにあらわれた。
新しい味である。
ニッポン以外では一般的ではない味も和食への関心とともに広がりをみせている。

和食のベースこそこのうま味にあるからだという。
なるほどわたくしも昆布だしとの出会いで、
料理作りの視界があきらかに広がった。

味覚のみならず人の感覚が五感で収まるはずはない。

posted by 細野不巡 at 13:30| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月04日

奴隷的ふるまい

奴隷とは。
この問いにこたえられるひとはすくない。
が、
奴隷的とはなんぞや。
この問いにはこたえられそうである。
みわたすと奴隷的なふるまいがいたるところにあるからだ。
奴隷的というのは奴隷のふるまいをしていながらそれに無自覚をいう。

サービス残業
誤魔化しが奴隷のあかしである。
単身赴任
なぜ家族とはなれてくらさなくてはならないのか。
その不自然さに無自覚ではなかろうか。

いずれも、
「しょうがない。」
この嘆息がでてくる。
ひとはそれらの事柄にたいして、
奴隷的なふるまいで応対している、
といえまいか。

きみは奴隷だ。
そのとおり。
奴隷でけっこう。
むしろ奴隷になりたい。
奴隷のほうがらく。

奴隷の意味は問うまい。
わかりっこないから。

ただ奴隷か奴隷ではない。
決め手はどこかにある。

奴隷でけっこう、
とは所詮、
奴隷になったことがない。
奴隷について無知だからいえる。
わたくしとて奴隷はしらない。
すべてが奴隷的なふるまいでしかない。

奴隷をしるひとは、
奴隷的な態度に敏感である、
とはかぎらない。
奴隷への前兆を知っているともかぎらない。

現代の奴隷はきづかぬうちに進行する悪性腫瘍のような癖をもつ。
悪性腫瘍とはいえ細胞の変異。
それも生物にはちがいない。
ゆえに厄介である。


魯迅、灯火漫筆におもう
https://fujunsports.seesaa.net/article/2016-12-23.html

posted by 細野不巡 at 08:37| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月02日

期待しない

期待したって、
かなわない。
期待されても、
こまる。

期待しない世の中に、
なればいい。
と、
ついつい期待してまう。

期待って、
のぞみ?
どうしようもないことは、
どうしようもない。
みんな、
しってるはずなのに。

いのり。
期待って、
いのり、
に似ている。

いのるだけではなにもうごかない。
期待するだけじゃ、
なにもかわらない。
しっているはずなのに。

期待するのって、
勝手。

期待しない。
けど、
あきらめないよ。
希望はいらないな。
ただ、
かんたんにあきらめたりしないだけ。

posted by 細野不巡 at 20:24| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月26日

ハラスメント

ハラスメントというカタカナを持ちだせるようになって、
まるでいままでの鬱憤を一気にはらすかのように、
さまざまなハラスメントが語られるようになった。
ハラスメントで語られるいぜんからハラスメントは限りなく続いていたのであり、
解決策はおざなりであった。

いやがらせ、
いじめ、
ではだれも動かず、
ハラスメントをもちだすやいなや、
土深くうもれていたものが顔をもたげる。

ニッポンは自力で問題を解決できないのではないか。
だれかがいった。
そうなのか?
自力で問題を解決しようと考える勢力があまりにとぼしいだけではないのか?

そんなはずはない、
と思ってきた。
が、
みわたすと、
解決へ導く訓練らしきものはない。
解決しなければならない問題はなにか。
それすらも水に流している。
はたして解決するつもりはあるのだろうか。
訝(いぶか)ってしまう。

解決策をみつけなければならない。
この逼迫した感情の発露すらみかけない。

いじめやいやがらせの当事者になってはじめてその冷酷さを知る。
これを繰返すばかり。
嫌なことをされたらその嫌なことを人にしない。
それだけで連鎖は止まる。

いじめは犯罪。
美輪明宏さんはおっしゃっている。
この一言がどれほどの沈黙を破っただろう。
犯罪と名指されたその後、
社会はどう応えたか。
名指しの力にたよるだけで応答の責任をはたしていない。

posted by 細野不巡 at 09:33| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月23日

気づき

原子爆弾もコロナワクチンも「気づき」によってもたらされた。

あなじ空気を吸い、
おなじことばをしゃべる。
似たような環境ではぐくまれるもの。
おなじような発想であり、
おなじような生活態度である。

似たような空気圧のなかで、
それまでになかったことや物をみつけることは至難である。

ある現象をおもいつく。
再現をこころみる。
が、
うまくいかない。
手順をかえてみる。
なにもかわらない。

あるとき手順どおりにやったはずなのに、
変化がおこる。
手順どおりのはずが、
手はずをちがえた。
あたらしい素材のおおくはこのように産まれるのではあるまいか。
まちがいは予想外ゆえ。

「気づき」とはひとの思考の道端に咲く花なのかもしれまい。

posted by 細野不巡 at 14:20| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月19日

きみの力量

たかいとこから身をなげる。
いや、
跳んじまったんだろ。
こわくなかったのかい?
こわいけど、
いきるほうがしんどかったのかい。

あんなに高いところにたって。
おいら、
すくんじまった。

不思議なんだ。
あんなとこから跳ぶちから、
もっているのに。

そんないさましさがあるんなら、
なんにだってへっちゃらだろ。

きみはきみの力量に関心がなさすぎる。

posted by 細野不巡 at 08:14| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月05日

質問力

質問力がない。

ラジオで日本放送協会の予算審議を聴いていた。
質問者は年若い議員で、
だれもがはじめは丁寧な口調で、
雑感をまくらに独演会がはじまる。

議員の質問なのか身辺雑記なのか、
無駄なまえふりのモノロ-グに、
NHKの役員が調子をあわせる。
かれらは淡々と答える。

単調である。
しだいに議員の口調に苛立ちが感じられ、
最後は異口同音、
質問者はだれもが憮然と、
そして持ち時間をつかいきる。
そのどれもがつまらなく、
二つ目さんの落語のようで、
これには失笑を禁じえなかった。

へたくそである。
勘違いしているのだろう。
それはひとりよがりで、
ユーモアも鋭さもなにもない。
印象に残ったことといえば、
NHK役員の答弁慣れと議員の私憤だけであった。
対象がぼんやりとしたままだから、
いたしかたあるまい。

質問はだれもができると高をくくってはいまいか。

質問は技術である。
にもかかわらず、
そこに勉強を感じない。

質疑にはそれぞれ持ち時間がある。
質問者がしゃべっているばかりで、
いっこうに質問をしないのはなぜか。

簡潔に質問し、
相手にこそしゃべらせる。
それが予算審議の醍醐味である。

質問者の技量は相手をしゃべらせてこそのもの。
これは議員の程度を云々するよりも、
そういった議員しか出せぬ、
われわれの程度の低さをものがたるものでしかない。

posted by 細野不巡 at 00:55| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月22日

なぜ記憶は薄れるのか

なぜ記憶は薄れるのか。

8月になると太平洋戦争のドキュメントであふれる。

80年経たから記憶は薄れるのだろうか。
なぜ記憶は薄れなければならないのか。

見たモノだからである。

ではなぜ、
あのときその場にいた人たちの記憶が鮮明たるか。

かれらはそのとき、
見、
聞き、
そのときの匂いを嗅ぎ、
そのときの風に触れ、
そのときの苦さを知るからである。

見たくもない画をみせられる。
聞きたくもない音を聞かせてられる。
嗅ぎたくもない匂いになす術をしらない。
灼熱に肌をさらす。
無味に汗の塩をたしかめる。
記憶は薄れない。

ゆえに、
記憶を継ぐことは至難である。
戦争を語る。
いったこともないくせに。
思考は停止せざるを得ない。

posted by 細野不巡 at 13:40| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月04日

ふと思う

ふと思う

イスラエルがパレスチナで火器を使う。

過去に。
沖縄は大戦の末期にUnited States Armed Forces に火器を使いまくられたという。
容赦なく。
徹底的に。

それでも人は生きた。

火器を使ってほくそ笑むのはほかでもない。
火器製造会社でしかない。
かれらは争いの場には、
決して顔をださない。
傷つき死ぬのはゴメンだもの。
だいいち売らないとおまんまの食いあげだし。

おやめなさい。
そういえる、
伝えられるのは、
沖縄こそではなかろうか。
断じてニッポンではない。

posted by 細野不巡 at 00:15| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月12日

呼びすて

呼びすて

この邦ではなぜこうも呼びかたに違いがあるのだろう。
呼びすてという。
ひとの名をすてる。
この奇妙な表現から、
何者かが何者かを見くだすだけなのではないか、と類推する。

ニッポンにおける身分制は思想ではない。
見せしめが概念化しただけで、
単なる外見による差別でしかないのではなかろうか。

外見。
それだけで見極められる。
話し言葉。
決定的である。

なぜ身分にこじつけたのか。
なんのことはない。
上に立つ少数の者たちがかれらの意に従わせるためでしかない。

そうした者にとって一番の厄介は、
従わざる者。
そしてそれを扇動する者である。

ひとは生き残る者だけが語り継ぐ。
あたりまえだ。
どのように考えてみても死す者たちは語り得ない。

時代は変る。
が、
ひとは変り得ず。
ただ、
世代が変れば、
記憶がとだえれば、
また、
似たようなことを繰り返す。

ラベル:呼びすて 身分制
posted by 細野不巡 at 00:31| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年06月27日

はじまり

地球という卵に隕石という精子が合体したのがはじまりではないだろうか。
そのとき核も動いた。

属性。
地球と隕石の合体こそわれわれの生殖の大本ではあるまいか。
いくつもの世代を経ようが属性は変らない。

人が間違えたのはそこに性というレッテルをあとづけしてしまったことではないだろうか。

命とはスイッチのようなもの。
地球と隕石が合体したことで、
たまたまなにかのスイッチが入った。
たまたまの連続がいまに至る。

発生の起源とてプラスとプラスマイナスが合体する。
生殖細胞を見れば自明ではなかろうか。

人の発生はたまたまであろう。

人は見たものしか想像しない。
逆をいえば見たことがない現象は想像すらできない。

人は複雑化が好き。
そうして訳を分からなくしている。
地球温暖化をかたるまえに人口の爆発をこそ抑えるべきとおもう。

ものごとをシンプルに考える訓練こそ必要なのであるまいか。


posted by 細野不巡 at 14:09| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年06月09日

似非(えせ)

似非(えせ)という

携帯をいじりはじめる。
ニュースをみる。
やがてニュースにまじって広告がはいる。
ニュースがよみにくくなってくる。
×をはずすと予期せねページにとばされてしまう。

刺激的なページはむしろこちらである。

宿便はないといってるのに図説いりで宿便をかたる。
これでもかこれでもかとどぎつい絵がつづく。
宿便はないのに。

地震は予知できない。
にもかかわらず。
いついつがあぶないという。
あえて特定の日をあげる。
ノストラダムスの騒動はなんであったのか。
こりない。

あの騒動をしらないひと、
わすれたひとたちがおおいのはたしかだろう。
戦争だっておなじこと。

よのなかは擬似ばかり。
脳髄をごまかす装置ばかりが発展して、
正偽すら装置に判断をあおぐしまつ。
ほんとうのことといっても、
それだけのこと。
はなしはふくらむほうがおもしろいにきまっている。

堂々と嘘をつく。

ひとは小さな嘘はゆるさない。
けれど、
大きな嘘には無防備なのではなかろうか。

ひとは暗示をうける。
信仰は暗示そのもの。
暗示にかけられたがりなのか。
暗示とはなにか。
そんなことおかまいなしなのか。
そういいながらもいとも簡単に暗示にかかる。

嘘をみぬく訓練がたりていない。
どのようにすれば嘘を嘘とみぬくことができるのか。
それすらもわからないまま。
ひるがえって、
ほんとうのことはなにか、
すら理解できていないのではあるまいか。

似て非なるものがみのまわりあれもこれも。
見分けがつかなくなってしまった。
それだけはたしかなことなのかもしれない。

だまされる。
ふたたびだまされた。
もう2度とだまされたくない。

ならば、
なぜだまされたのか。
だまされないためにするべきことはなにか。

だまされてみないとわからないのだろうか。
二度あることは三度あるともいう。

いったい、
なにを手がかりにすべきなのだろうか。

posted by 細野不巡 at 10:51| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月18日



おなじ手順でおどる。
延々とくりかえす。
ニッポンの祭。
ひとはおどる。

徳島の阿波踊りを観ていた。
ニッポンの、
ニッポン人の、
力をおもいしる。

青森のねぶたを観ていた。
飄々とくりかえす。
踊りは延々とつづく。

これは狂気だ。
それを極限でとどまらせている。

こころの解放ではなく、
鎮静につとめる。
それがニッポン。

農作業におわれ、
日々をおくる。
雨にうたれ、
日照りにうろつき、
風にしかめる。

都市ならば、
人との折衝がそれになる。
満員電車にゆれる。
毎日くりかえす。

たまりにたまるマグマをどこに放てばいいのだろう。

祭しかないじゃないか。


posted by 細野不巡 at 12:45| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月17日

2025年05月16日

「ほめる」ってむずかしい

なぜニッポンでは「ほめる」という行為がこんなにもむずかしいのだろうか。

この邦ではほめられて育った人は圧倒的に少ないのではないだろうか。

所作に対して、
「すばらしいですね」と言っても、
「そんなことありません」
と即座に否定される。
とくに女性にこの傾向が強いようにおもわれる。

なぜ、
「すばらしいですね」
のひと言に、
「ありがとうございます。これからも精進します」
と返せないのだろうか。
よけいなお世話に過ぎないのだろうか。

こちらとしては、
ただ感じたことを伝えただけでほめるつもりではない。
けれど否定されるとそこで会話が止まってしまう。
残念におもう。

自信が持てないからなのか。
関心がないのか。
あるいは、
ただ面倒くさいだけなのか。

いずれにしても、
ほめられた経験が少なすぎる。
その経験値が圧倒的に低い。
それが根底にひそんでいる気がしてならない。

posted by 細野不巡 at 07:50| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月13日

ジョンレノン Imagine no possessions

ジョンレノンが撃たれ病院にかつぎこまれた。
再現ドラマをみた。

Imagine イマジン
この歌のすごさをまたかみしめている。
宗教がなかったら、
国境がなかったら、
ジョンレノンはいう。
想像してごらん。

戦場の映像がこれでもかこれでもか。
くりかえす。
世の注目はここにあつまる、

が、
凝視すべきはそこじゃない。

戦争の根源となるもの。
それは 所有 だ。

わたしの土地、
わたしの財産、
わたしの権利、
この考えを捨ててみてごらん。
できるさ。
やってごらん。

ジョンレノンの Imagine の一節がうかぶ。

Imagine no possessions

所有という概念を手放したとき、
人はどんな世界を生きるのだろうか。

こんな単純なことにきづかないなんて。
どうかしてる。
そうおもわないかい?


posted by 細野不巡 at 00:03| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月26日

かたくな

かたくな

かりあげた髪はひとつきは経っていよう。
銀色の眼鏡をかけてとなりの車両からやってきた。
手荷物をふたつ連結扉のまえにおく。
決壊をふせぐための土嚢をおくように、
すきまを丁寧にふさぐ。
薄毛のトップコートはよれている。
タッタソルのシャツをきている。

奇妙な仕草。
座席にすわる初老のおとこが不機嫌になる。
まわりの客はうつむいている。

初老の男はうつむいた。
目にしなければ気分を害さない。
腕をくみ、
背をのばし、
目をつむる。

ききみみをたてる。
ひとりで問答をはじめる。

目をひらくべきか、
このまま無関心をよそおうべきか。
なにかあったときみていなかったというのは卑怯ではないか。
目をあけて一部始終監視するべきではないか。

初老の男は目をあけた。
駅につく。
客が降り、
乗ってくる。
杖をついた女性がいた。
初老の男はジェスチャーで座席をゆずろうとする。
杖の女性は大丈夫ですといった。

かりあげの男は本を3冊もっていた。
ていねいに床におく。
また手でかかえる。
かれの仕草から、
本の表紙をみてもらいたいのではないか、
初老の男はおもう。
駅に着く。
客は降り、
また乗ってきた。

かりあげの男は直立し、
かかえた本の表紙を客の目にはいるようにしむける。
奇妙なふるまいに客はおどろきかれからのがれた。
かりあげの男のまわりにひとはいない。

それ読んだよ。
年寄の声だ。
かりあげの男はふりむく。
きびしい本だね。

かりあげの男がくずれるようにしゃがみこむ。
両の脚は床にはりつく。
堰がきれたようにうなだれる。
あたまがふるえる。
かりあげの男は嗚咽する。

あなたも読んだのかい。
年寄はいった。
きびしいなぁ。

かりあげの男は衆目にはばかることなくすすりないていた。

かたくなでいるということは、
ときにあぶないひとをいう。
かたくなでいるということは、
なにをしでかすかわからない。
かたくなでいるということは、
つねにひとりぽっちになることだ。
覚悟などいらぬ。
そもひとはひとりぽっちなのだから。

ラベル:掌編
posted by 細野不巡 at 14:34| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月24日

議会が機能していない

議会が機能していない。
わたくしはそう感じている。

物価の高騰に対処できず、
コメの品薄にメスをもいれられない。
議会においてあつかう課題は、
わたくしからみれば重箱のすみをつついているようにしかうつらない。

議会は停滞したまま。
メディアも同調するばかり。
東日本大震災前の状況もまさにそうであった。

当時、
政府は官僚いじめにはしり、
議会では卑小な「いった」「いわない」をくりかえす。
結果制度改革は宙吊りのままにおわった。

政権を奪取したときのかっこよさは、
微塵もなかった。

逡巡するだけの既存政治家。
だからこそドナルドトランプさんのような、
政治を商売のようにあつかうビジネスマンが顔をもたげる。
やるか、
やらないか。
たしかに判断は早い。
決断もすみやかである。

良いか悪いか。
わたくしにはわからない。
いずれにせよ政治とは判断である。

ちかいうちニッポンも似た状況になるではあるまいか。
若くて有能でも、
いばりちらす政治家だけは御免蒙りたい。

ただ、
この邦には、
女性たちという、
ねむったままの潜在力がある。
覚醒せねばなるまい。

posted by 細野不巡 at 18:36| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする