2022年06月16日

屹立

  屹立(きつりつ)

 少年の父親は地方官吏、母親は化粧品のセールスレディをしていた。
 高等学校三年の始業式の日、かれの父親は他界する。

 高等学校二年、夏の日のことであった。
 かれは母校の図書室から無断で書籍を拝借し、それが明かるみになり、自宅謹慎に処せられた。窃盗である。
 家の者には伝えないでください、病魔と闘っている父親が悲しむだけですから、と懇願した。
 が、一度くだされた処分である以上、親御さんに報告しない訳にはいかない。
 担任から病床の父親に報せが入った。

 そのころかれは、おばあさんとの些細ないさかいがもとで一年以上も父親と口を利かなかった。大家族の家長として祖母を庇護しなければならない立場にあったのであろうか。少年の父親はおばあさんの言い分を信じた。道理は少年にあったのかもしれない。父も子も感情に支配され冷静さを失ってしまった。

 少年は困った。
 なんと云って釈明しようか案じた。こたえは容易にでてこない。

 その日の夕方、電話がなった。
 母親からであった。

 学校からの報せを受けて母親がわが子の悪行を父親に伝えたとのこと。
「とうさん呼んでるよ」
という。
 いまのいままで強気でいた少年もおのれの愚かさで墓穴を掘ってしまった。
 反省至極の体で病院にいった。
 なるようにしかならない。
 少年ははらをすえた。

 夕食がおわったのだろう、病棟にはたべものの匂いがした。
 その個室の戸は明いていた。

 うつむいて入ってくる息子をみとめると父親はいった。
「学校の本をかっぱらったんだって」
 怒るどころか大笑いする。
「おまえは下手なんだよ」
といいはなつや、父親は高等学校在学時分になした悪行の数々を、わが子に聞かせるではないか。母親にすら一言も喋らなかった悪事である。
 少年は、
「おまえなんぞ出ていってしまえ!」
 そういわれるのを覚悟していた。

 その夜のことは忘れない。
 とうさんとかあさんの三人で、あんなに大笑いしたことはなかったから。
 おかしくておかしくて涙がでるほどおかしくて、おもう存分に笑いながら、どこか救われたおもいで、もう悪行はするまい、悪行はしてはならない。
 少年は誓う。

 早朝。
 少年の父親は息を引きとった。
 父の遺体を実家に運ぶ途中のことであった。
 ふと、少年はかなたに広がる大雪(だいせつ)の山々をみた。
 雪を冠したその峰々の雄々しさに、少年は息をのむ。
 それまで気にもとめたことのない凡々たる山々が屹立(きつりつ)としてみえた。
 白と群青に彩られたヌプカウシの峰々を仰ぎみながら、少年は溢れ出る涙の滴を、父親の血が脈々と流れる掌でしっかと受けとめた。
ラベル:屹立 赦し
posted by 細野不巡 at 11:42| 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月16日

しらなかったではすまないぜ

知人はわたくしにいった。

おまえの国は最低だな。
あいつのような男を自殺させるなんて。
最低の国だ。
ああいう男を、自殺させないようにすること。
それがおまえの国をまともでいさせる、ただひとつの道であったのに。
それすらできない。
最低の国ということだ。
あいつを自殺させては、いけない。
ああいう男こそ死においやってはいけなかったんだ。
それすらも、わかっていない。
ああいう男はほかにいない。
救世の意味をしっているのか。
そのことをしっているひとも、決定的にすくなかった。
おおければいいというものじゃないから。
すこしでも、いればいい。
わかっているとおもっていた。
おれが浅はかであったのだ。
わかっているとおもっていたのだ。
もうやつがいないいいじょう、おまえの国はおわる。
もうもどらない。
覚悟。
覚悟することだ。
おまえができること。
それはただひとつ。
あたえられたいのちをまっとうすることだけ。
ああいうおとこがいないのだから、
苦しくなる。
それはわかっていたはずだよな。
しらなかったではすまないぜ。
posted by 細野不巡 at 19:36| 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月12日

GUERNICA GERNICARA

美術館は、まさに長蛇の列。
2時間ないし3時間待ちである。
「こんなにならんで、ばっかじゃないの」
「しょうがねぇだろ、きょうしかこれないんだから」
「時間えらべばよかったのに」
「いまさらいうなよ」
「…それにしても、がまんづよいっていうか、どいつもこいつも、よぉく、だまってまってるもんだ」
おれもそのうちのひとりだ、な。

おめあての絵にたどりついた。
1時間45分たっていた。

ちびっこがひょっこりと絵にちかづいた。
こうべを左、右とふりながら、べろをだしてからだをくねらせる。
「なんだこれ」
ちびっこはいう。
「へんな絵」

まわりのおとなたちは不意をつかれた。
めのまえの絵は大巨匠が描いたものだ。
それを、へんな絵よばわりされたのである。

へんな絵か。
おじさんはおもった。
…たしかにへんな絵だ。
…どうみてもかわった絵だ。
…そういえば、なぜみんなこの絵のまえでわらわないのだろう。
…わらってはいけないのだろうか。
…へんな、かわってる絵だって、いっちゃいけないのだろうか。

たしかに。
めっちゃ、へんな絵で、すったまげている絵じゃないか。
作者の動機に説明がほどこされている、とはいえ、へんな絵。
それにかわりない。

ちびっこのほうがまちがっていないじゃないか。
その絵のまえで、
しかめっつらして観ているほうが、
絵のたのしみかたをしらない。
おじさんはそのちびっこのくもりない眼をうれしくおもった。

そのおおきな絵の下には、
GUERNICA GERNICARA (ゲルニカ)
と書かれていた。
posted by 細野不巡 at 09:15| 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月03日

ぎりぎり

黛は飛込むつもりでいた。
快速線に飛込むつもりでたっていた。
踏切は5ケ所だとおもっていた。
この時刻、快速線はだいたい15分おきにはしってくる。
黛はかんがえていたわけではない。
いつも利用する電車、だからおぼえている。ただそれだけのことであった。

「まいったなぁ。」
黛のとなりにひとがいて、まるで声をかけてきたもののようにいう。「まいったなぁ。」
黛はひとが去ってからにしよう、とおもった。
「まいったなぁ。」
おとこはもうしわけなさそうにいった。
あたまをぺこぺこしながら、下顎をだしたりひいたり。
なんだ、こいつ。じゃま。
黛はむっとする。
「それ、おいらのハンカチなんっす。」
なにをいっていやがる。
黛はおもう。
さっさとうせろ、このうすのろ野郎。
するとそのおとこ、すこし表情をこわばらせ、
「それ。」
といって顎で黛のあしもとをさした。

「ふまれてしあわせなんですって。」
わけのわからないことをいう。
黛はあしもとをみる。たしかにハンカチをふんでいた。
黛はすこしだけ恥じた。
おおげさにハンカチをふんでいた足をずらすと、あやまった。

「それ、ただのハンカチなんすっけど、つれがえらんでくれたんで。」
へへへ、
おとこはわらった。

「たすかりました。」
と、おとこはいった。

「よかった、よかった。」
黛は泣いていた。

たすかったのはわたしだ、と。
黛は泣いていた。
posted by 細野不巡 at 07:59| 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月27日

ありゃりゃのあ

ブラックホールなんていうけれど、ありゃぁ、最初にきづいたひとがホール、つまり穴だわな。そういうふうにみえたんだろな。だからそうよばれているだけのもの。
たとえばさ、風呂につかるじゃん。そこで、水面に浮いてるものを風呂桶にながしこむ。
それがブラックホールの原理でさ。ながれこんだものは、桶のなかをぐるぐるまわる。桶はいつかは満杯になる。あふれるわな。それでできあがったのが、銀河。そんなもんさ。
だれかがホールっていったじゃんか。だから、みんなホールっていうか穴、だとおもってうたがわない。いや、うたがえないんだな、たぶん。
ひとの想像力なんてのわぁ、そんなもんだね。だれかがみたものか、きいたもの。その範囲を超えるこたぁない。というか、超えることなんかできないんだろうよ。これだって、超えるっていうイメジじゃぁなくって、あふれるというほうがあってるとおもうんだがね。
手のうちにあるのだって、ことばしかないわけで。これなんかは不完全でしかも限界のかたまりでね。だいいち、ことばいじょうのことあらわせないじゃんか。
あたらしいおばかがあらわれないとな。ま、おれみたいなもんかもしんないけどな。へへへ。だれも信じないのよ。そりゃそうだっつうの。ばかいってらぁ、程度にしか見ない。ま、しゃぁない。それがひとなんだろう。脳は脳しかないわけで。その範囲内でかんがえるしかできない。
想像はムゲンだなんて、ばかいっちゃぁいけない。宇宙人がいるかいないか、そうじゃなくって、まず物質があるかどうかで、動くのがひとだけれど、宇宙人は動く、とかってにおもいこんでるだけじゃん。宇宙人の想像図をみてごらんよ。みんなどこかでみたりきいたりしたものをいびつにしたもの。
それだけのもんだよ。ははは。
posted by 細野不巡 at 08:34| 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月11日

よし、いこう

大震災できずつくひとは被災者だけではなかった。
津波の映像をみ、土砂くずれを、洪水を耳にする。
あすはわがみとかれはおもう。
被災地へいくこともなく、義捐もしていない。
被災地へいくことはできただろう。
義捐だってできないことはない。
しないだけだ。
かれはしっている。
あすはわがみ。
かれはおもう。
なにもできないのではない。
なにもしていない。
なにもしない。
それだけだ。
かれは笑わなくなった。
なにがおもしろいのか。
かれはおもう。
だれかがひっぱっていかないと、なにもすすまない。
ひとりがまず、でしゃばることをしないから、だれもあとにつづかない。
あとおいはだれにでもできるから、まず先頭になるひとがでてくること。
いや、そういうひとはすでにいて、ただ脚光をあびないだけなのかもしれない。
メディアにはたよれない。
だれもしないのなら、おれがすればいいだけのこと。
かれは武者震いし、そとへでた。
しばらくして高速で駆けてくる自転車と衝突した。

かれはベッドのうえにいた。
ラジオのコミュニティFMから John Lennon 'Stand by me' がながれてきた。
かれの目になみだがあふれた。

大震災できずつくひとは被災者だけではなかった。
津波の映像をみ、土砂くずれを、洪水を耳にする。
あすはわがみとかれはおもう。
被災地へいくこともなく、義捐もしていない。
被災地へいくことはできただろう。
義捐だってできないことはない。
しないだけだ。
かれはしっている。
あすはわがみ。
かれはおもう。

なみだがながれた。
なみだはまだのこっていた。
かれはおもう。
よし、いこう。
posted by 細野不巡 at 09:39| 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月26日

おもしろいひと

おもしろいひとがいた。
ひとの才能をみきわめる。
ほんの数例をあげてみる。

「あいつは、畑作をついだわけだけど、ほんとうは学校の、それも大学の数理科なんぞで教鞭(きょうべん)をもつと成功したのにな。農業高校にいっちまったからなぁ。」(享年65歳農業後継者)

「札幌でサラリーマンか。もったいないな。おもしろいやつだった。落語でもやると、はまったのにな。名人になる道だってあったのに。おしいよ、ほんと。」(享年59歳会社員)

「あいつはさ、サッカーよりも相撲のほうが出世したはずさ。強靭な足腰、そしてばね。短距離はずばぬけていたな。ああいうのは、そっぷかたのいい関取になれたのにな。もったいないことをした。」(享年53歳元サッカークラブ監督)

「地方官吏にあまんじたのがな。さみしいよ。町会議員から、国会議員、ていうのはむつかしかったにせよ、道議くらいはなれたんだろうけどな。家具屋のせがれで妹しかいなかったからな。」(享年62歳自営)

「あいつ、おいらすきだったんだ、ほんとうは。ま、しゃあないけれど、おれと結婚してたら、しあわせかどうかはわからないけれど、医者にしてあげたっかたな。いい外科医になれたのにな。あのこのつくるパン、ふつうだったよな。」(享年63歳主婦)

吉岡くんの葬儀でのこと。
かれはわたしのとなりにこしかけて、ポツリといった。
「くすぶってなんかないよ、あんたは。よくがんばってる。つづけなよ。それでいい。だれかがみてくれる。しんじていいよ。」
遺影につぶやいたのか、それともわたしへのなぐさめなのか。
とまれ同級生の好誼(よしみ)から発せられただけなのだろう。
吉岡くんは小学校の教諭であった。

おもしろいひとがいた。
ひとの才能をみきわめる。
ただそれは死後でしかなかった。

おまえさんはどうなのだい、とたずねたことがある。
かれは笑ったまま目をとじた。
「あんたがうらやましいよ。」といった。
かれ自身の才能については終始くちをとざしていた。
posted by 細野不巡 at 09:30| 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月30日

人生ビデオ

健康は概念でしかないのだけれど、健康なひとは傲慢だ。
あすいきているという不確かなことを、うたがいもしないなんて。

人生ビデオをみせられたんだ。
いままでのおいらの人生を見られるからってさ。
バッカじゃあるまいし、そんなはずないじゃん。
ってね、おもっていたの。

で、見せてもらったのよ。
びっくりしたよ。
だっておいらが映っているじゃん。
マジ。

でさ、ギリギリっていって検索、えらんでそこ見せてもらったんだ。
やっべぇのなんのって。
いままで、しらないあいだに死にかけてたんだよ。
マジ。

25回あった。

そんなはずないじゃん、っておもってたからね。
もうぶっとびさ。

死にかけたのは、ほとんどおぼえてないわさぁ。
でもああしてみせられたら、もう、なんともいいようがないっていうか。
チビのころ、道わたってるとき、車にはさまれそうだったのをおぼえていて。
ああ、やっぱりあぶなかったんだ、っておもった。
友達が、いってたもんなぁ。
あぶなかったって。轢かれるんじゃないかとおもったって。あおざめた顔してた。
ああ、あれだよ。
あとはおぼえてないんだけれど、こう見せられちゃぁなぁ。納得もくそもあるもんか。やべぇっておもったもの。

気ィつけたほうがいいぜ。車はやっぱあぶないぜ。被害者は圧倒的にすくない。あとは加害者になる可能性をふくめると、ほとんどが加害者の可能性があるひとばっかしになる。

加害者はいわば健康なひとでしょ。被害にあってないんだから。
健康は概念でしかないのだけれど、健康なひとは傲慢だよ。
あすいきているという不確かなことを、うたがいもしないなんて。まったく。

人生ビデオをみせられないとわかんないんだろうなぁ。ナンマイダァだよ。ほんと。
posted by 細野不巡 at 11:30| 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする