川上和生さんの個展にいった。
22年ぶりである。
川上和生ワールドのたたずまいはいつも、
こざっぱりして、
なによりしずかである。
静謐とか静寂とか硬質な感覚ではない。
牧草地のしずけさであり、
林のしずけさである。
馬小屋から、
牛舎から、
藁や糞のにおいがしそうな気配。
どこにでもあるようにおもうのだけれど、
どこにもない。
それが川上和生のせかいなのではあるまいか。
なつかしく、
どのしずけさもせつなさをひめている。
今回の作品。
川上和生さんは心象を描いたという。
いくつかの作品は風景画。
なだらかな山が描かれている。
わたくしにはそれらの山が、
どれも、
東ヌプカウシヌプリにみえる。
東ヌプカウシヌプリは凡庸な山である。
国立公園をはぶかれたせいであろうか、
森はなく、
木はすくない。
頂上からの眺望はない。
麓の牧場ではホルスタインが草をはむ。
なにもないただの山である。
が、
以前、
わたくしは屹立という掌編を書いた。
東ヌプカウシヌプリについて書いた。
わたくしは東ヌプカウシヌプリに非凡をみ、
川上和生さんは東ヌプカウシヌプリに哀惜をみるのではあるまいか。
2024年12月10日
2021年11月25日
サイエンスゼロ
NHK教育テレビでサイエンスゼロという番組がある。
かかさずみている。
30分番組で科学的な要素の前線をかいまみせてくれる。
おもしろい番組です。
ときどきカミオカンデの特集がある。
世界最大のニュートリノ観測装置であるという。
で、ニュートリノの存在らしきものがわかったとして、
それでどうなるのだろうか。
地球を瞬時に通過する物質があるにせよ、
おなじような元素をつくりだせなければ意味はないのではなかろうか。
さまざまな観測装置ができているようである。
ほんとうに必要なのだろうか。
ノーベル賞をとる。
そのために特化しているだけなのではあるまいか。
ニッポンにひつようなのは、
ノーベル賞なのではなく、
産学協同での、
原子力発電所の解体。
それにまつわる原子力研究。
これこそが最先端でなければならない。
ニッポンに原子力発電所は新設していないけれど、
原子力技術は随一。
とくに、解体分野では世界に類をみない。
世界の原子力発電所はかならずや劣化する。
その原子力発電所もいつかは解体しなくてはならない。
原子力発電所の解体はニッポンに依るほかはない。
そうなるべき機会は、
すでに到来しているのではなかろうか。
クリーンエネルギーとうたわれた原子力が汚染をうむ。
が、もし、それよりほかに、
クリーンエネルギーとしての可能性がみつからないかもしれない。
そのときのために、
研究はつづけられなければならない。
わたくしのおもいは、
核廃棄物の処理ができていないいじょう、
これからの原子力発電所の建設、再稼働にはくみしない。
けれど研究者はひくてあまたにならなくてはいけない。
かかさずみている。
30分番組で科学的な要素の前線をかいまみせてくれる。
おもしろい番組です。
ときどきカミオカンデの特集がある。
世界最大のニュートリノ観測装置であるという。
で、ニュートリノの存在らしきものがわかったとして、
それでどうなるのだろうか。
地球を瞬時に通過する物質があるにせよ、
おなじような元素をつくりだせなければ意味はないのではなかろうか。
さまざまな観測装置ができているようである。
ほんとうに必要なのだろうか。
ノーベル賞をとる。
そのために特化しているだけなのではあるまいか。
ニッポンにひつようなのは、
ノーベル賞なのではなく、
産学協同での、
原子力発電所の解体。
それにまつわる原子力研究。
これこそが最先端でなければならない。
ニッポンに原子力発電所は新設していないけれど、
原子力技術は随一。
とくに、解体分野では世界に類をみない。
世界の原子力発電所はかならずや劣化する。
その原子力発電所もいつかは解体しなくてはならない。
原子力発電所の解体はニッポンに依るほかはない。
そうなるべき機会は、
すでに到来しているのではなかろうか。
クリーンエネルギーとうたわれた原子力が汚染をうむ。
が、もし、それよりほかに、
クリーンエネルギーとしての可能性がみつからないかもしれない。
そのときのために、
研究はつづけられなければならない。
わたくしのおもいは、
核廃棄物の処理ができていないいじょう、
これからの原子力発電所の建設、再稼働にはくみしない。
けれど研究者はひくてあまたにならなくてはいけない。