2025年07月24日

士幌線 士幌(しほろ) 18 コーラ

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 士幌(しほろ) 18

コーラ

コカコーラを口にしたとき、
なんてクスリくさいのだろう、
兄貴がいった。
ほんとクスリみたいだとおもった。

コカコーラの大瓶を買ってきて、
コップに移すのだけれと、
テレビコマーシャルのようにコップに3杯とはいかず、
軽く2杯にしかならない。
納得できない。
氷を入れれば嵩(かさ)がふえるだけのことを知り、
ごまかしじゃないかとひとりおもった。

ローヤルクラウンコーラというのが発売された。
栓を抜くと、
栓の裏に、
あたりの文字。
それを栗山商店にもっていくと、
もう1本もらえた。

いまはみかけない。
けれどあの味は忘れてはいないんじゃないかな。

味覚には存外、
記憶を強めるチカラとでもいおうか、
ふと思い出があらわれる、
忘れがたいチカラがある。

posted by 細野不巡 at 21:53| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月21日

士幌線 士幌(しほろ) 17 校長先生

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 士幌(しほろ) 17

小学校に入るとき校長先生と親子で面談があった。

校長先生はおなじ苗字で、
黒縁の眼鏡をかけていた。

おうちはどこですか?
士幌町全図をテーブルに広げた。
母親はまったく対応できず、
わたくしが、
ここです。
答えたおぼえがある。

地図は読めたのだろう。
ジャポニカ百科事典を買いそろえたとき、
別巻日本大地図の巻末に2色刷りの都市図があって、
そこに百貨店を見つけては鉛筆でかこっていた。
いまおもいかえしても妙なことをしていたものである。

細野校長先生。
そののち函館行特急おおぞら車中、
白老あたりでおみかけし、
短い挨拶をかわしたことがある。
もちろんわたくしのことはおぼえていない。

posted by 細野不巡 at 09:23| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月19日

士幌線 士幌(しほろ) 16 輓馬(ばんば)

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 士幌(しほろ) 16

輓馬(ばんば)といっていた。

季節はわすれたが、
公営住宅が建つ前は空き地で、
そこで輓馬がおこなわれていた。
距離にして50mほど。
障害となる山はひとつだけではなかったか。

露店が何軒か点在していた。
わたくしはそこで綿菓子が作られる機械の横にいた。
綿菓子をこっそりかすめとるのである。
ひっきりなしにあくことなく続けていた。

その光景を母親がみていた。
恥ずかしかった。
のち母親はいった。

わたくしは、
綿菓子をこしらえているおじさんが、
懸命にワタアメを手にいれようとしているちびっ子に対し、
いかに寛容であったか。
御礼とともにたたえたい。

割箸1本でワタアメをかすめとっていた子供が、
いまや白髪の初老になりました。

posted by 細野不巡 at 08:44| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月16日

士幌線 士幌(しほろ) 15 書の道

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 士幌(しほろ) 15

書道をならっていた。
師匠は小学校の深田先生である。
深田先生、
琴も教えた。

週に一回日曜日であった。
なぜ書道であったのか。
忘れてしまった。
いやいや通っていたのは覚えている。
同窓も何人かいた。

小学校の教員住宅は公民館の裏手にあった。
おなじころそろばんの講習が公民館でおこなわれていた。
習うならそろばんのほうがいいのにな、
なぞと三日坊主がよくいえたものである。

十勝の書道大会があった。
帯広に十勝日報という新聞社があった。
わたくしはその十勝日報賞をもらった。
式典の日は大雪で糠平発の十勝バスが遅れてこない。
母親とふたり足寄発の拓殖バスで帯広にむかった。
会場は人一杯で、つぎからつぎに賞状とメダルがわたされるだけ。
メダルをもらう子は少なかった。

強い子
半切?の半紙に書いた。
筆を持つわたくしの手を深田先生が握る。
ズルである。
自力では到底書けない書ができあがる。
数回試したであろうか。

あのような字は小学生で書くとすれば有段者のツワモノ以外は書けまい。
いまのわたくしでも無理である。
書の道は二段候補でよしてしまった。

posted by 細野不巡 at 05:11| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月15日

士幌線 士幌(しほろ) 14 公民館

十勝三股 (とかちみつまた) と帯広をむすんだ。
士幌線 士幌(しほろ) 14

かんがいこ、
とよんでいた。
音更川を頭首工で堰とめて
澱粉工場や
雪印マッシュポテト工場
そして農業用水路。
まちなかを流れる川があった。
幅10メートルはなかったとおもう。
川のむこうは士幌郵便局があった。

夏そこで泳いでいたら溺れそうになった。
小学生では川底に足はつかなかった。
浮輪の扱いに慣れていなかったからだとおもう。
一回転してしまった。
あわてた。

公民館は灌漑溝すぐちかくにあった。
教育委員会の事務所の奥にちいさな図書室があって自由に閲覧できた。
父親は地方官吏でどの職員もわたくしがその息子であることをしっている。

ダムや鉄橋などおおきな人造物が好きで関連の本を借りたりもした。

いつぞや、
細野さんちの子は本がたいそうすきらしく、
ずいぶんと熱心だ、
と母親がいわれたという。
わたくしとしては、
みにおぼえのないこととはいえ、
なんだかすこしだけうれしかったおもいがある。

公民館は平屋で床は木。
黒く、
床剤でいつも独特なにおいがしていた。

posted by 細野不巡 at 11:48| わがまち士幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月12日

呼びすて

呼びすて

この邦ではなぜこうも呼びかたに違いがあるのだろう。
呼びすてという。
ひとの名をすてる。
この奇妙な表現から、
何者かが何者かを見くだすだけなのではないか、と類推する。

ニッポンにおける身分制は思想ではない。
見せしめが概念化しただけで、
単なる外見による差別でしかないのではなかろうか。

外見。
それだけで見極められる。
話し言葉。
決定的である。

なぜ身分にこじつけたのか。
なんのことはない。
上に立つ少数の者たちがかれらの意に従わせるためでしかない。

そうした者にとって一番の厄介は、
従わざる者。
そしてそれを扇動する者である。

ひとは生き残る者だけが語り継ぐ。
あたりまえだ。
どのように考えてみても死す者たちは語り得ない。

時代は変る。
が、
ひとは変り得ず。
ただ、
世代が変れば、
記憶がとだえれば、
また、
似たようなことを繰り返す。

ラベル:呼びすて 身分制
posted by 細野不巡 at 00:31| ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする